檸檬と紅茶

追憶と彷徨。瞼には甘い囁きを。

与太話

帯状疱疹になった

先週の木曜日あたりから、左の腰からわき腹にかけて猛烈に痒くなり

数日後には湿疹が出始めた。

湿疹は腰の辺りが特に酷く、丁度下着に覆われている部分と重なっていたので

「下着被れかな?」位に思い放っておいていたのだが、一向に良くなる気配はないし

湿疹は痛いしその周りは猛烈に痒くて夜中に目が覚める位だった。

丁度同時期に、喉に違和感を感じ始め(少しイガイガしてたまに空咳が出る)たので

このご時世なので「コロナ 喉 湿疹」で何度も検索し、検索するとコロナの症状で喉は勿論の事、湿疹が出ることもあるという…。どんどん不安になっていったのであった。

ただ、熱は全くないし猛烈な痒みと痛みを我慢すれば日常生活を送るのには支障が

ないので「コロナだったらどうしよう…」という思いは抱えつつもいつもと変わらず会社にも行っていたのであった。

 

コロナへの不安と共に一連の症状を母親にLINEで聞いてもらったところ「それって帯状疱疹では?」と言われ、ネットで検索したら確かに当てはまる症状が多い…。

なので本日病院に行き、予想通り(?)帯状疱疹の診断が下され飲み薬と塗り薬を処方されたのであった。

この病気は疲れて免疫力が低下している時にかかるらしく、先週仕事もプライベートも忙しかったので納得なのであった。

水曜日頃、疲れているのは感じていたが自分的には十分に休息を取っていたつもりだったからヘルスではなくメンタルの調子が悪いと思っていたので、心と体の両方を正確に捉えるのは難しいと感じている…。

 因みに喉については、医者曰く帯状疱疹で喉の調子が悪くなるという事はあまりないので全体的に体が弱っているのでは…という事であった。

しかし不思議なもので「帯状疱疹」という診断がついたことで不調がコロナによるものではないと(100%の確率では言えないけど)思うと、喉の違和感を感じなくなったのであった。病は気からというのは確かにあるのかもしれない。

 

「普通の人」よりは体が弱い

幼い頃からストレスが体に出やすかった。その最たるものが「緊張するとお腹が痛くなる」だ。小学生の頃、冬休みのスキー教室の前にお腹が痛くなり親に訴えたところ

「スキー教室に行きたくないから仮病を使っているのだろう」と怒られ、緊張でお腹が痛くなっても誰にも言わず我慢しなければいけないと思い、実際大人になるまでその様に対処してきた。

現在、30歳を目前にしてその事に関して親を全く怨んではいないけれど(甘やかしてもいけないと思う気持ちも分かるし親も完璧な人間ではないと思っているので)

緊張でお腹が痛くなる=我慢するもの という認識は結果的に自分の体を把握することの障害になっていたように思う。

「ストレスが体に出やすい」と気が付いたのは、ここ数年の事である。

現在私は、消化器に自己免疫疾患由来の持病があり2~3ヵ月に一度通院している。

4年前には会社で当時配属された部署でいじめに遭い、その影響で甲状腺に嚢胞が出来

要観察となっているし、その時の心労で一気に痩せて腎臓の位置が動いた(と考えられる)事でナッツクラッカー症候群というものになってしまったり等…「同年代の健康な人」よりも医療に使っているお金が確実に多い。

後、生理痛もひどくこちらも1年前から婦人科に通っている。

(この件についてはいつか詳しく書いてみたいなぁと思っている。)

 

正直、年間の医療費の合計額を計算して「国内旅行2回くらい行けるのでは…?」と

思ったりもするが「こういう体質なのだから仕方ない」と割り切るようにしている。

 

趣味も気力体力を消費する

そもそも、なんで今ブログを書いているのかというと「暇」だからである。

最初に書いたように本日「帯状疱疹」という診断が下され、この土日は1歩も外出せず症状の改善に努めようと思っているのだがとんでもなく暇である。

自分はそこそこ趣味が多い方だと思っていた。下にざっと挙げてみる。

・お菓子作り

・チェロを弾く

・読書

・映画鑑賞

・推しの映像鑑賞(バンドの女王蜂と最近、歌舞伎の坂東玉三郎丈がお気に入りである)

 

しかし、現在どれもやる気が起きない。理由を挙げてみる。

・お菓子作り

→作る気力がない

・チェロを弾く

→弾く気力が無い。そもそも、最近楽器が大きくて重くて持ち運びに難儀している

・読書

→主に小説を読むが、登場人物に感情移入してしまうので読むと疲れる。

・映画鑑賞

→小説と同じ理由

・推しの映像鑑賞

→映像出力するまでのプロセスがめんどくさい

 

という事で、見事に臥せっている時には向かないのである。

臥せっていなくても、どの趣味も「さぁやるぞ!」と気合をいれてから

行っているので本当に趣味なのか最近自分の中で分からなくなっている。

 

そうなると、必然的にスマホでだらだらSNSを見たりするのであるが

なんとなくそうはしたくなく(加えてデジタルデトックス!と思いスマホの電源を切ったのだった)ちょうど氷室冴子のエッセイ本に軽く目を通した後だったので、今の気持ちを書こうかなとパソコンを起動した次第である。

結局デジタルデトックスになっていないなぁ…とパソコンのキーボードを叩きながら

感じている今現在なのであった。

 

 

 

女王蜂ライブ-2017年アヴちゃん生誕祭-

この記事は、2017年に私がタンブラーで書いたものです。

始めて女王蜂のライブに参戦した時の感想と女王蜂のライブに参戦するきっかけを書いたものになります。

 

※因みに遠征がてらクリスマスに東京観光した一部を抜粋しています。

 

 

 

この旅のきっかけになった女王蜂のライヴへ行った。

女王蜂はデビュー当時から聴いてはいて、曲は好きだったのだけれどYouTube越しに見るサイケデリックな衣装とメイク、独特なパフォーマンスがなんとなく〝狙った〟ような感じがしてライヴに行くまでには至らなかった。

それから女王蜂は活動を休止して、それをきっかけにあまり聴かなくなってしまった。

それから何年か経ち、今年のライジングサンに出ていたので軽い気持ちで聴いてみたら全然狙ったような感じは無く曲もパフォーマンスも洗練されていてとてもカッコよかった!

これはもっとライヴを観たいと思い、今回聴きに行くことにしたのだった。

ライヴ中盤まではライジングサンと同じようにリズムよくノリノリな楽曲が演奏されていき、『く・ち・づ・け』を最後にMCを挟んで曲の雰囲気がガラッと変わった。MC後最初の『告げ口』はライジングサンでも聴いていて相変わらず凄いなぁと思っていたのだけれど次の『Q』では今回のライヴで個人的に1番圧倒された。歌詞もさることながら、アヴちゃんの凄みに身動きが取れなかった。会場も水を打ったように静かになり、ひらひらと舞っていたジュリ扇は静かに下がった。そのまま『雛市』『コスモ』と演奏されていき『アウトロダクション』でライヴは一旦終了。

アンコールでは新曲と『ヴィーナス』を演奏して(本当の最後にファンがノリノリになれる楽曲を披露して気が利いているなぁと思った。)本当にライヴは終了。

 今回初めての女王蜂よワンマンライブを見て、感じた事が二つ。一つ目は、ライジングサンでも感じた、楽曲やパフォーマンスが(わたしが過去に聴いていた時と比べて)とても洗練されているなという事。二つ目はPOPな曲と重たい曲の使い分けが凄く上手いという事。ライヴ後半のような抜けがない音圧(と、そこに含まれた怨念的なもの)曲ばかりでは、演奏する方も聴く方も辛い気がするけれど、リズミカルでPOPな曲もバランスよくあるから尚更重たい曲も際立っていて女王蜂の魅力を最大限に感じる事が出来たように思う。ライヴって観客も皆で盛り上がるというイメージがあってそれはとても実力が試される物だと思うけれど、演奏で観客を黙らせるライヴというのも同じ事だと感じた。

 

 

 

…偉そうに語ってしまったけれど、2017年は女王蜂の魅力にちゃんと気がついた年だったなぁ。

女王蜂ライブ-queen of b- 感想@札幌

2021.12.10 女王蜂 ライブツアー 『queen of b』札幌公演に参戦致しました

 

-はじめに-

※あくまで一個人の感想です

※ネタバレ有りです 

※長いです

※なるべく記憶に忠実に書いておりますが、思い違い等あるかもしれません。そういう物と思って読んでいただけますと幸いです。

 

 

 

*

 

12月10日(金) 19時05分頃

会場が暗転し、妖しい音楽と共にBLのPVの衣装に身に纏ったアヴちゃん以外のメンバーが登場。

(キーボードのみーちゃんは黒いワンピースにパールのネックレスだった)

舞台中央に配置された食卓を囲み、食事をするパントマイムが始まった。

今まで舞台セットらしいセットが組まれた事が無い女王蜂のライブで初めての試みではないかと思う。

 

その内に食事を終え、ナプキンをテーブルの上に置きメンバーがそれぞれの持ち場につき「始発」のイントロが始まり舞台後方から 

ライブグッズのコートを見に纏ったアヴちゃんが登場する。

そのまま、先ほどメンバーがパントマイムを行ったテーブルをステージにして歌い始める。

最初ステージを見た時にアヴちゃんはどこで歌うのだろうと疑問だったので、テーブルをステージにしてその上で歌うというパフォーマンスに成程〜とびっくりしてしまった。

(多分、察しの良い方はとっくに気がついていたと思うけれど)

 

個人的に「始発」は昨年のやしちゃん生誕祭の配信でしか聴いたことが無く、ずっと生で聴いてみたいと思っていたので1曲目から既に感極まっていた。

2曲目は「始発」と同じ、アルバム『奇麗』から「緊急事態」。この曲も生で聴くの初めてで、聴けて嬉しかった。

 

3曲目「introduction」から「金星」「魔笛」「ヴィーナス」とブチ上がる曲が立て続けに演奏され、「始発」で一つの恋の終わりから新しい恋の始まりという1つの流れが提示されてる様に感じた。

 

7曲目の「心中デイト」は最近、衣装チェンジの際に演奏される事が多い印象があったが、今回は通常の演奏バージョン。前曲までの「恋愛」が「心中」に辿り着いたという事なのだろうか。

「心中」は「許されない恋」(例えば不倫だったり、身分の違いだったり)をした「男女」が行うものだという固定観念が私自身の中で存在していたが、今回のライブを振り返り、許される許されない(そもそも誰がその基準を定めたのだろうか?)に関わらず

「心中」こそが「究極の愛の形」という人もいるのかもしれない、そして必ずしも「男女」であるとは限らないそんな事を考えたりしている。

自分の中に在った、今まで疑いもしていなかった価値観について女王蜂の楽曲に触れてから疑問を持ち始める事はこれが初めてではない。

「心中デイト」を境に「BL」「失楽園」「HALF」「KING BITCH」と紡がれる世界観は退廃的な様相を呈していく。

「KING BITCH」でアヴちゃんの「三つ首ケルベロス!」の言い方がかっこよすぎて

無意識のうちに右手で心臓を押さえてた(笑) (限界ヲタク)

 

「夜曲」でアヴちゃんは衣装チェンジの為、楽器隊のみの演奏へ。

その間、背後にパネルが降りてくる。このパネルは8月8日に行われた単独公演・『第八』でアヴちゃんが描いた油絵を引き伸ばしたものだ。

『第八』公演は参戦することは叶わなかったが、FCで公開されたライブの写真に同様の演出が行われていたと記憶している。

「夜曲」の演奏途中で「KING BITCH」のPV衣装に着替えたアヴちゃんが再登場。

何かセリフを発していたけれど、ポンコツなので殆ど聞き取れなかった…。(スミマセン)

唯一聞き取ることが出来たのは「生きていくしかなかった」というセリフ。

 

次に演奏されたのは「先生」。ご存じの方も多いようにこの楽曲は最後に「灯油でぐるっと輪を描いてマッチを」というセリフがある。

今まで参戦してきたライブでは何の躊躇いもなく「マッチを」と火をつけた事がわかる

演出がされていたが、今回は今までと違い「マッチを…マッチを…マッチを…」と苦しみながら躊躇う様に、アヴちゃんは後方に体を捻ってマッチに火をつけたような動きをした様に感じた。

 ライブ帰りにこのセリフと躊躇うような(と個人的に感じた)動作について、もしかしたら「灯油でぐるっと輪を描いた」外に火がついたマッチを投げたのかもしれないと思った。つまり「先生」は教え子と心中する事を一度は決意したけれど、結局死ぬことができなかったのではないか…そんな風に感じている。また、そう感じたのは「夜曲」での「生きていくしかなかった」というセリフがあったからだと思う。1曲目の「始発」でも自死をほのめかすような描写があるが結局「死」を選ぶことはなかったと私は解釈していて、今回の「先生」もそうだけれど「死にたい思ったけれど、死ねなかった」物語なのだろうか…そんな風に感じた。

 

次に演奏されたのは「HBD」。家族について歌ったと思われるこの曲は、個人的にとても思い入れがあって…というのは「愛してるけど大好きではない」という歌詞を初めて聴いた時「そう!そう!」と自分が家族に対して抱いているもやもやとした感情の一つが、ぴったりと言語化されたような感覚があったからだ。

 今回のセトリに限った話になるけれど、オープニングの「アヴちゃん以外のメンバーが食卓を囲み食事をする」演出、そしてアヴちゃんが誰も座っていない食卓をステージにして食器類やテーブルクロスを踏み荒らしてライブを行っていく様は「HBD」という曲、そして「家族」というものに繋がるのではないかと個人的に感じた。

 先ほどの「心中デイト」でも同じような事を述べたけれど、例えば「家族は素晴らしい」とか「家族は皆、仲良くあるべき」というような世間一般に存在している価値観のようなものが女王蜂のライブでは本当にそうなのだろうか?と今までの当たり前に対して疑問を持つ経験が幾度となく在るのである。

 

「HBD」の演奏が終わり、アヴちゃん以外のメンバーが衣装チェンジの為、一旦退場。

その代わりにアコギの弾き語りで「雛市」が演奏される。これまた、アヴちゃんがギターを演奏しながら歌う姿を生で見るのが初めてだったので、嬉しかった!

彼女が演奏するとギターにも血が通っているような気がしてなんだか不思議だった。

「雛市」の「強く強く生きてゆかなきゃ」「世の中のせいにしてちゃ はじまらないから」という歌詞も先の「生きていくしかなかった」に繋がるように思う。

 

次に演奏された「FLAT」はこれまた個人的に思い入れが強い曲で、イントロを聴いた時、息が止まりそうだった…。「FLATでいたいよ」「羨ましさと比べ合いのいたちごっこはやめたいよ」体の内側からそんな言葉が出てくるって本当に凄いと思う。

(以前出演した「関ジャム」で言っていた「かわしながら 整地させていく」という言葉がこの「FLAT」という曲になったのかな…と感じている)

「平坦な戦場」の歌詞の時にライトが真っ直ぐに突き抜けて行って、そんな演出も相まって号泣した。

「コスモ」を経て、本編最後を飾ったのがアルバム『蛇姫様』の「イミテヰション」という楽曲。『蛇姫様』に収録されている楽曲って最近のライブで演奏する事があまり無いように感じていて、それに伴い聴きこみが不十分だったので今回はノーコメントで。

(スミマセン…もしかしたら後日加筆するかも)

 

*

本編が終了し、アンコールで演奏されたのは「夜天」と「燃える海」の2曲。

「燃える海」のイントロを聴いた時、膝から崩れ落ちるかと思ってしまった…。

というのも、「あの日の改札を思い出す」(1曲目に歌われた「始発」)からの「改札を通る時に言った冗談」(燃える海)。「物語」ひいては、今回のライブで歌われた楽曲たちは円環をなして回りつづけるのでないのだろうか。

-最後に-

今回のライブについて一言で表すと「究極の人生賛歌」だと感じている。

「別れ」からライブの幕が上がり、新しい出会いをまた繰り返し、恋の始まりの浮かれた感じもありながら退廃的な様相も見せ始め、消えてなくなってしまいたいと思ってもいざとなると死ねなくて「生きていくしかなかった」「強く強く生きていかなきゃ」と決意とも諦念とも取れる言葉があり、「平坦な戦場」を生き続けていく。

特別では無い、誰もが一度は経験するような様々な「人生」の側面が描かれている。

「人生賛歌」といっても、「生きるって素晴らしい♪」みたいな事ではなくて、その時々でどんな思いや決断をしてもそれを静かに肯定してくれるような懐の深さを感じるようなものだと思っている。

 

*

今回のライヴについては、ツアーファイナルも参戦する予定なのでもしかしたら違うセトリに当たるかもしれないしとても楽しみです♪

(噂では、今回のツアーはセトリが3パターンあるとか)

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

チェロとわたし

突然だが、わたしはチェロを持っている。なんだったら少しばかり弾くこともできる。
現在、アパートに住んでいるため家での音出しができないので何年間か楽器ケースに閉まったままの状態が続いていたが、今年の6月から週に一回、近所の公民館で部屋を借りて2~3時間ほど練習をしている。
 しかし、別にチェロが趣味という訳ではないし、たまにどうして自分がこの楽器を弾いているのか不思議に思う時がある。

思い返せばチェロとの出会いは私立大学1年生のときであった。
夏休みであったと思うが、国立大学に通う2学年上の姉がかつて所属していたオーケストラサークルでチェロパートの同期に自分のパートの1年生が早々に辞めてしまい人数が足りないので妹さん入団してくれたりしないだろうか…と相談を持ち掛けられたという話を聞き、それであれば見学してみたいと姉に伝えたのが始まりだった。
 見学してみたいと自分から言ったものの、入団する気など毛頭無く地元で一番偏差値の高い某国立大学のサークル会館に行ってみたいとかそんな軽い気持であったと思う。
見学日当日、姉に声を掛けてくれたチェロパートの同期(以下T先輩)の積極的な勧誘にすっかりやる気になり入団を決意した…なんていうことは決して無く、人見知りで口下手のT先輩は特にサークルの説明をするわけでもなく黙って立っており、ついてきてくれた姉が見かねて代わりに説明をしていた。自分からはしゃべらないT先輩、なんで私が勧誘しているのだろう?という様子の姉、T先輩のことを言えないくらい人見知りの私、の三人で間が持たなくなるのに長い時間がかかることはなかった。いよいよ間が持たなくなり沈黙が場を支配し始めていた時、早くこの場所から脱出したいと思った私が放ったのは「あの…もう帰ります…」の一言であった。
 それから一ヵ月ほど悩み結局は入団することに決めたのであった。入団するに至った要因は?と聞かれると未だによくわからない。自分の通っていた私立で女子大の閉塞的な雰囲気に息詰まりを感じ始めていたからなのか、共学で国立大学のサークルに入れば彼氏ができるかもしれないと思ったからなのか、はたまた入ってくれないかと「人様から誘ってもらえる」という事が自分のそれまでの人生でほぼ皆無であったからなのか…とにかく私は今まで一回も触ったことすらないチェロを始めることになった。紆余曲折、辞めようと思ったことは数えきれないほどあったが、現在も私は細々とチェロを弾いている。


 チェロを始めた当時から現在に至るまで練習メニューは毎回同じである。まず初めにチューニング(楽器の音程合わせ)を行い開放弦でロングトーン。2番目に音階の練習2~3セット行い、3番目にウェルナー(初心者向けの教本)の練習曲を弾き、最後にオーケストラ曲のチェロパート部分を練習する。大学1年生からチェロを始めて早くも10年が経とうとしているが、大学卒業後全く楽器に触れない時期もあったことから相変わらず下手糞なままである。しかし、数年間放ったらかしにしていても、再びケースを開ける瞬間まで変わらず存在してくれていた。今年の6月にチェロの練習を再開した時には音程が取れず2番目に行っている音階の練習すらままならいほどであったが3ヵ月程たった現在では音もとれるようになり、ゆっくりではあるが確実に前進しているのを毎週感じている。現在、社会人として「会社」というコミュニティに属し、3歩進んだと思えば2歩下がる時もあれば、周りと比較をして自分を見失いそうになる時もある。それでも左手で弦を抑え右手に持った弓で弦を擦ればチェロは音を出してくれる。私が発した私自身の音なのだ。誰と競う訳でも比べあう訳でもない。自分のペースで少しずつ前に進むことが出来る。チェロを弾いているときは会社の一員ではなく、間違いなく「私自身」なのである。そんな事に最近気が付いた訳ではあるけれど、もしかしたら近い未来、仕事に追われたりとかでまたケースに楽器を閉じ込めてしまう予感がしなくもないので、やはり趣味という位置づけにチェロを置く気にはなれない。それでも末永く彼(チェロ)とつかず離れずの関係を続けていきたいと思う。