檸檬と紅茶

追憶と彷徨。瞼には甘い囁きを。

女王蜂ライブ-queen of b- 感想@札幌

2021.12.10 女王蜂 ライブツアー 『queen of b』札幌公演に参戦致しました

 

-はじめに-

※あくまで一個人の感想です

※ネタバレ有りです 

※長いです

※なるべく記憶に忠実に書いておりますが、思い違い等あるかもしれません。そういう物と思って読んでいただけますと幸いです。

 

 

 

*

 

12月10日(金) 19時05分頃

会場が暗転し、妖しい音楽と共にBLのPVの衣装に身に纏ったアヴちゃん以外のメンバーが登場。

(キーボードのみーちゃんは黒いワンピースにパールのネックレスだった)

舞台中央に配置された食卓を囲み、食事をするパントマイムが始まった。

今まで舞台セットらしいセットが組まれた事が無い女王蜂のライブで初めての試みではないかと思う。

 

その内に食事を終え、ナプキンをテーブルの上に置きメンバーがそれぞれの持ち場につき「始発」のイントロが始まり舞台後方から 

ライブグッズのコートを見に纏ったアヴちゃんが登場する。

そのまま、先ほどメンバーがパントマイムを行ったテーブルをステージにして歌い始める。

最初ステージを見た時にアヴちゃんはどこで歌うのだろうと疑問だったので、テーブルをステージにしてその上で歌うというパフォーマンスに成程〜とびっくりしてしまった。

(多分、察しの良い方はとっくに気がついていたと思うけれど)

 

個人的に「始発」は昨年のやしちゃん生誕祭の配信でしか聴いたことが無く、ずっと生で聴いてみたいと思っていたので1曲目から既に感極まっていた。

2曲目は「始発」と同じ、アルバム『奇麗』から「緊急事態」。この曲も生で聴くの初めてで、聴けて嬉しかった。

 

3曲目「introduction」から「金星」「魔笛」「ヴィーナス」とブチ上がる曲が立て続けに演奏され、「始発」で一つの恋の終わりから新しい恋の始まりという1つの流れが提示されてる様に感じた。

 

7曲目の「心中デイト」は最近、衣装チェンジの際に演奏される事が多い印象があったが、今回は通常の演奏バージョン。前曲までの「恋愛」が「心中」に辿り着いたという事なのだろうか。

「心中」は「許されない恋」(例えば不倫だったり、身分の違いだったり)をした「男女」が行うものだという固定観念が私自身の中で存在していたが、今回のライブを振り返り、許される許されない(そもそも誰がその基準を定めたのだろうか?)に関わらず

「心中」こそが「究極の愛の形」という人もいるのかもしれない、そして必ずしも「男女」であるとは限らないそんな事を考えたりしている。

自分の中に在った、今まで疑いもしていなかった価値観について女王蜂の楽曲に触れてから疑問を持ち始める事はこれが初めてではない。

「心中デイト」を境に「BL」「失楽園」「HALF」「KING BITCH」と紡がれる世界観は退廃的な様相を呈していく。

「KING BITCH」でアヴちゃんの「三つ首ケルベロス!」の言い方がかっこよすぎて

無意識のうちに右手で心臓を押さえてた(笑) (限界ヲタク)

 

「夜曲」でアヴちゃんは衣装チェンジの為、楽器隊のみの演奏へ。

その間、背後にパネルが降りてくる。このパネルは8月8日に行われた単独公演・『第八』でアヴちゃんが描いた油絵を引き伸ばしたものだ。

『第八』公演は参戦することは叶わなかったが、FCで公開されたライブの写真に同様の演出が行われていたと記憶している。

「夜曲」の演奏途中で「KING BITCH」のPV衣装に着替えたアヴちゃんが再登場。

何かセリフを発していたけれど、ポンコツなので殆ど聞き取れなかった…。(スミマセン)

唯一聞き取ることが出来たのは「生きていくしかなかった」というセリフ。

 

次に演奏されたのは「先生」。ご存じの方も多いようにこの楽曲は最後に「灯油でぐるっと輪を描いてマッチを」というセリフがある。

今まで参戦してきたライブでは何の躊躇いもなく「マッチを」と火をつけた事がわかる

演出がされていたが、今回は今までと違い「マッチを…マッチを…マッチを…」と苦しみながら躊躇う様に、アヴちゃんは後方に体を捻ってマッチに火をつけたような動きをした様に感じた。

 ライブ帰りにこのセリフと躊躇うような(と個人的に感じた)動作について、もしかしたら「灯油でぐるっと輪を描いた」外に火がついたマッチを投げたのかもしれないと思った。つまり「先生」は教え子と心中する事を一度は決意したけれど、結局死ぬことができなかったのではないか…そんな風に感じている。また、そう感じたのは「夜曲」での「生きていくしかなかった」というセリフがあったからだと思う。1曲目の「始発」でも自死をほのめかすような描写があるが結局「死」を選ぶことはなかったと私は解釈していて、今回の「先生」もそうだけれど「死にたい思ったけれど、死ねなかった」物語なのだろうか…そんな風に感じた。

 

次に演奏されたのは「HBD」。家族について歌ったと思われるこの曲は、個人的にとても思い入れがあって…というのは「愛してるけど大好きではない」という歌詞を初めて聴いた時「そう!そう!」と自分が家族に対して抱いているもやもやとした感情の一つが、ぴったりと言語化されたような感覚があったからだ。

 今回のセトリに限った話になるけれど、オープニングの「アヴちゃん以外のメンバーが食卓を囲み食事をする」演出、そしてアヴちゃんが誰も座っていない食卓をステージにして食器類やテーブルクロスを踏み荒らしてライブを行っていく様は「HBD」という曲、そして「家族」というものに繋がるのではないかと個人的に感じた。

 先ほどの「心中デイト」でも同じような事を述べたけれど、例えば「家族は素晴らしい」とか「家族は皆、仲良くあるべき」というような世間一般に存在している価値観のようなものが女王蜂のライブでは本当にそうなのだろうか?と今までの当たり前に対して疑問を持つ経験が幾度となく在るのである。

 

「HBD」の演奏が終わり、アヴちゃん以外のメンバーが衣装チェンジの為、一旦退場。

その代わりにアコギの弾き語りで「雛市」が演奏される。これまた、アヴちゃんがギターを演奏しながら歌う姿を生で見るのが初めてだったので、嬉しかった!

彼女が演奏するとギターにも血が通っているような気がしてなんだか不思議だった。

「雛市」の「強く強く生きてゆかなきゃ」「世の中のせいにしてちゃ はじまらないから」という歌詞も先の「生きていくしかなかった」に繋がるように思う。

 

次に演奏された「FLAT」はこれまた個人的に思い入れが強い曲で、イントロを聴いた時、息が止まりそうだった…。「FLATでいたいよ」「羨ましさと比べ合いのいたちごっこはやめたいよ」体の内側からそんな言葉が出てくるって本当に凄いと思う。

(以前出演した「関ジャム」で言っていた「かわしながら 整地させていく」という言葉がこの「FLAT」という曲になったのかな…と感じている)

「平坦な戦場」の歌詞の時にライトが真っ直ぐに突き抜けて行って、そんな演出も相まって号泣した。

「コスモ」を経て、本編最後を飾ったのがアルバム『蛇姫様』の「イミテヰション」という楽曲。『蛇姫様』に収録されている楽曲って最近のライブで演奏する事があまり無いように感じていて、それに伴い聴きこみが不十分だったので今回はノーコメントで。

(スミマセン…もしかしたら後日加筆するかも)

 

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本編が終了し、アンコールで演奏されたのは「夜天」と「燃える海」の2曲。

「燃える海」のイントロを聴いた時、膝から崩れ落ちるかと思ってしまった…。

というのも、「あの日の改札を思い出す」(1曲目に歌われた「始発」)からの「改札を通る時に言った冗談」(燃える海)。「物語」ひいては、今回のライブで歌われた楽曲たちは円環をなして回りつづけるのでないのだろうか。

-最後に-

今回のライブについて一言で表すと「究極の人生賛歌」だと感じている。

「別れ」からライブの幕が上がり、新しい出会いをまた繰り返し、恋の始まりの浮かれた感じもありながら退廃的な様相も見せ始め、消えてなくなってしまいたいと思ってもいざとなると死ねなくて「生きていくしかなかった」「強く強く生きていかなきゃ」と決意とも諦念とも取れる言葉があり、「平坦な戦場」を生き続けていく。

特別では無い、誰もが一度は経験するような様々な「人生」の側面が描かれている。

「人生賛歌」といっても、「生きるって素晴らしい♪」みたいな事ではなくて、その時々でどんな思いや決断をしてもそれを静かに肯定してくれるような懐の深さを感じるようなものだと思っている。

 

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今回のライヴについては、ツアーファイナルも参戦する予定なのでもしかしたら違うセトリに当たるかもしれないしとても楽しみです♪

(噂では、今回のツアーはセトリが3パターンあるとか)

最後までお読みいただきありがとうございました。